2008年08月25日

ソルジェニーツィンの評価




この8月3日、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなった。
静かな死だったと言わなければいけないですかな?
この人は、スターリン体制下で、反革命分子とされた人々に対する抑圧を告発した反体制作家としてノーベル文学賞を受けましたが、
国家反逆罪で国外追放になりました。
ゴルバチョフ時代になって市民権を回復し、ロシア連邦に帰国してからの文学的活動はほとんど分かりません。
なかったのかも知れません。

「収容所列島」に代表される、卓越したドキュメンタリー作家としての評価は高かったソルジェニーツィン。
彼は、信仰心篤いキリスト教信者と、愛国者としての姿の二つを持っているとされています。
キリスト教徒の視点から社会主義を批判する立場の小説を書いた。
従って、彼の文学者としての活動の全盛期も、ソビエト国内で体制批判をしていた頃だったとされる。
もちろん、彼自身の人間としての軸がぶれているわけではないでしょう。
ただ、社会主義のイデオロギーからは自由だった彼も、キリスト教の宗教的な観念からは自由ではなかったようです。

帰国後はロシアの精神的支柱となったと伝えられますが、
彼の市民権を回復してくれたゴルバチョフも、ロシア連邦最初の大統領のエリツィンにもソルジェニーツィンは容赦なく批判を行っています。
彼の理想的な「ロシア」を実現してくれる指導者ではなかったんでしょうね。
ただ、晩年の彼は意外なことに、プーチン体制を支持しました。

そう言えば
ソビエト崩壊直後の混乱したロシアについて、
何かのインタビューで、正確ではないだろうが、
「自由と平和が保障されるなら、専制国家でも構わない」と発言していたのを、印象的に覚えている。

それなら社会主義国のソビエトは専制主義国家ではなかったのか?と当時悩んだ記憶があったから。
亡命時代には、社会主義体制のソビエトに対する批判者であり、反体制の闘士として西側が賞賛したソルジェニーツィンも、ナショナル・アイデンティティを再生させる権威主義的なプーチンを支持したのも、その辺が根底にあるのかな?と思ったもんです。
もちろん、ソルジェニーツィンの文学がそれによって評価を下げるわけでもないのですが、西側にとって利用価値がなくなったのは間違いないですね。

僕が読んだのは「イワン・デニーソヴィチの一日」で、最初から最後まで、作品の中に地吹雪が吹き荒れているような作品でした。

彼の作品と名声が、ロシアという少々危険な国のナショナリズムの行き過ぎた高揚に利用されない事を願ってます。
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2008年08月19日

源氏物語E(若紫)

さて、17歳の光源氏と20歳の夕顔の君(実は頭の中将の愛人)とのひと夏の恋は、死別という思いもかけない形で終焉を迎えました。
それも、生霊にとり殺されるという?
ロマンポルノの濡れ場に稲川淳二の「怖い話」を挟んだような物凄い急な展開です。

この愛の傷は深い。

源氏のお相手である夕顔の君はとり殺されたうえ、その死を秘密のもとに葬られる。
寂しいですよね。
殺されたヤクザが、その死を隠蔽するため、コンクリ詰めにされて、東京湾に沈められる図を想像します。
例えが下世話で、源氏ファンには文字通り殺されかねない表現ですが、似たようなものです。
この時代、華やかなようで、生と死は本当に近いところにある。
だからこそ、生霊やら祟りやら祈祷やら呪いなどが流行っていたんだろうし。

さて、またまた脱線したところで
久し振りの「源氏ネタ」
本題に移ります。

源氏十八歳のころのこと、春ごろ、熱病を患って、北山に霊験あらたかな加持の僧がいると聞き、出かけてゆくところから始まります。

この若紫、書き出しはこうです。
「瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。」

「おこり」とか瘧病(わらわやみ)とか言う、熱病(マラリヤと思われる)をわずらって寝込んだ光源氏。
いろいろと呪術や加持などしてもらうんだけど、効果がない。
何度も発作がお起こってしまう状況。これは重病と周囲も心配しているところ、誰かが、「北山の某寺に霊験あらたかな行者さんががいて、去年の夏にも病が世間に流行して、他の人々がまじないあぐねたのを、何人もたちどころに治したそうですよ。こじらせると厄介だから試してみてはいかがですか?」と言うので呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」というので、「しかたない。ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。


よほど、重症だったという事です。
もっとも、熱にうなされてたびたび発作が起きる状況では、
そうは簡単に外に出ようなどという気持ちはおきないだろうしね。
まあ、とにかく、北山のとある寺に光源氏一行は向かいました。
相当山深い場所にある岩屋にその聖(行者)はいらっしゃった。
身なりは相当粗末なものだったが、見るからに徳のある感じの人だった。彼は源氏のためにしかるべきクスリを作り加持祈祷を行った。
ここで、源氏は健康を取り戻す。
体力を回復したというべきか。

そんな日々の中、外に出て見渡すと高い山の上なので、誠に景色がいい、眼下につづら折りの道の下にこざっぱりとした住居が見える。
「誰が住んでいるのだろう?」
「あれは僧都が2年間も住んでいるとか聞いておりますが」
すると、その建物の中から美しそうな童女などが大勢出て来て、
水をお供えしたり、花を折ったりするのが見える。
「あそこに女がいるぞ」
さすが稀代のプレイボーイ、女性を見つけるのは早い。
何かと気にかけるのを、
「気を紛らわせた方がようございます」とは従者の弁。
そりゃそうだ。
病人なんだから。
山から京の町を見下ろせば景色にぼんやり霞がかかっている。
「絵にとてもよく似ているなあ」と言うと、
「いや、地方に行くともっと素晴らしい景色がございます。そこでなら絵も上達なさるでしょう。富士の山、何々の嶽」
その中で、近場なら播磨国の明石の浦が格別ですと勧める者がいた。

「あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。」先日立ち寄ったが、いい暮らしをしている模様だとも伝えている。
「ところで、その娘は?」と聞かれる源氏に
器量や、気立てなども結構な娘だとの事。ただし代々の国司などが結婚の申し込みをしても、この父親、全然承知しないのだとの事。
自分はこのように落ちぶれているけど、娘だけは特別だと言ってはばからないのだ。
「海龍王の后にする娘なんだろう」
「気位いの高いことも、困ったものだね」
と噂するのを源氏は興味深く聞いている。

まあ、後々光源氏が、政敵に当たる弘徽殿(こきでん)の女御ら右大臣系の人間に疎まれ、逃れた須磨で、件の明石入道に迎えられ、その娘である明石の上と契る(つまりデキてしまう)
彼女は娘を産み、源氏に引き取られ皇太子の后(明石中宮)になります。明石の上は中流の身分ゆえ、わが子を手許で育てることができませんでした。
ただ、最後に姫君が入内するときに、紫の上の計らいで、世話係として明石の上は選ばれるのです。

そして、その紫の上と源氏が出会うのがこの「若紫」なのですが、
すいません。
続きは次回に
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2008年08月18日

「怪談」の季節〜小泉八雲





夏と言えば海
夏と言えば山
夏と言えば…怪談

「呪怨」や「リング」を出すまでもなく、
今、ジャパニーズ・ホラーは世界を席巻しているが、
その原点「怪談」は日本人ではなく、
パトリック・ラフカディオ・ハーンという外国人によって、
編集された。

もちろん、元々今昔物語や雨月物語などにも
怪異譚は登場するが、
それを一番有名にしたのはギリシャ人のハーンだったのは
不思議ですな。
耳無し芳一とか、むじな、ろくろ首など…
どれも有名だけど、
怖いというより、懐かしい感じがするのは不思議です。
そう、ゲゲゲの鬼太郎を読んだ時みたいな。

さて、そのハーンさん、
1903年東京帝国大学を退職しましたが、
その後任が夏目漱石だったのは有名な話だそうです。
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2008年08月11日

金閣炎上(水上勉)





大学1年の頃、通学の電車の中で文庫本を読もうと決めた時、
僕は、各作家1冊ずつ本を読もうと決めた。
その時、水上勉さんの「霧と影」を選んだので、
この「金閣炎上」は読まなかった。
(その代わり三島由紀夫の「金閣寺」を読んだっけ)

その時、三島の「金閣寺」から受けていたこの事件に対するイメージが後になって水上勉の「金閣炎上」を読んだ時、大きく変わってしまった。
こちらは、まるで小説ではなく、ドキュメントなのか、丹念に犯人林養賢の犯行に至るまでの精神的な足取りを追いかけている。
三島の「金閣寺」が精神性に重きを置き、美と儚さに彩られた「美しい」作品であるのに、水上の「金閣炎上」には、病弱な父親と勝気な母親の間に生まれ、吃音に悩んだ青年僧が、終戦という時代の価値観が転換する時期に、自分の居場所を失い、周囲から隔絶して最後には象徴としての金閣を焼くという「大それた」行為にいたるまでを資料を集めて書き記している。
「殺仏殺祖」という臨済の言葉が終盤出てくるが、この言葉が林青年の放火と関係あるかは、著者もわからないとしている。

読んでみて、三島の「金閣寺」は文章が飾りすぎていて読みにくく、彼の真意が掴みきれなかったのに引き換え、水上の方は、真実に近付こうとするあまり、中身が詳細において細か過ぎ、全体の意図が掴みきれなかった。

結局わからんかったんかい?と言われそうですが、
人間の行動って不条理なものではないだろうか?というのが自分の考えなので、それはそれで仕方ないかなと思っています。

両方とも読後感に空しさが残りましたがね。
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2008年07月06日

我泣きぬれて蟹とたわむる〜石川啄木



「東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

「砂山の砂に腹這ひ
初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」

「いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと 握れば指のあひだより落つ」

「こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ





石川啄木という人は本当に生前は認められなかった人で、
その生涯は貧困の中にあったと聞く。
文学的な才能を過信し、しかしそれを世間が認めてくれない苦しさに、死ぬまで悩み続けたのではないだろうか?
もっとも26歳の若さで死んでいるので、
成功を見る事ができなかったのはそのせいもあるのだろう。

もっとも、調べによれば、
彼は周囲から借金してまで女郎遊びとかに使っていたらしい。
友達にはなりたくない男だが、短歌は素晴らしい。
ただ、石川啄木の小説は呼んだはずだが印象にない。
才能とは残酷である
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2008年05月25日

「堕落」(高橋和巳)




自慢でも何でもないが、
僕は大学1年の4月から通学(札幌ー小樽)の間に本を読もうと決めて、新潮文庫を片っ端から買って読みふけりました。

自分は速読ができる人間でもありませんでしたが、
何とか半年で100冊を読むことができました。

それも1人1冊と決めて読んでの100冊だからそれなりにいろんな文体に触れることができた。

今の自分が、商売をしているわけでもないけど、趣味で文章を書く時、下地になっているのは間違いなく、あの当時の乱読だったと思う。(もっとも、読んだ片っ端から忘れていくのもたいしたものだが)

しかし、そんな中でも、読もう読もうと想いながら一番文学を吸収できるあの時期に読めなかった作家が何人かいた。

直木三十五、池波正太郎、斉藤栄、中里介山、大西巨人、五味川順平、川崎長太郎…
理由はいろいろありますよ。作品が長すぎた。文庫が出てなかった。出版社が潰れた。偏見があって通俗小説は後回しにした。などなど…。

そんな中で、なぜ僕は高橋和巳を読まなかったのか?
埴谷雄高や井上光晴、野間宏、椎名麟三とかは読んでいたのに。
この人と小田実については読んでいない。
当時の事を考えると、多分どれを読もうか考えすぎていたのが原因だったのだろう。
「邪宗門」「黄昏の橋」「悲の器」「憂鬱なる党派」「我が心は石にあらず」
どれもこれも、当時の憂鬱な学生だった自分にはその作品群は魅力的だった。特にその題名のセンスは素晴らしかった…そして、結局選びきれなかったのだった。

あれから30年…、ようやく手に取った高橋作品は「堕落」だった。
かつて大陸に幻の国を造る事に奔走し、理想に敗れ、戦後は混血児を育てる仕事に就き、表彰される青木周三。しかし、その裏では彼自身、「堕ちていく」事への願望が止められなかった…。

読めてよかったと思った。
そして、やはり、若いうちに読むべきだったと思った
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2008年05月23日

真実は墓場まで〜名探偵ホームズDボスコム渓谷の惨劇

ホームズとワトソンは警察ではありません。

探偵が求めるものは事件の裏側にある真実です。
従って、その真実によっては罰を下さないこともあるのです。

そういう事件がホームズ物語には結構あります。
『悪魔の足』とか『チャールズ・オーガスタス・ミルバートン』
『ブルー・カーバンクル(青いガーネット)』
『アベ農園』などです。
これはそんな事件の中の一つであります。

ボスコム沼のほとりでチャールズ・マッカーシーという男が殺害された。
ボスコム谷一の大地主はオーストラリアで金を作って帰ってきたヘンリー・ターナーという男で、チャールズ・マッカーシーはやはりオーストラリア帰りの男で、ターナーの土地の一部を借りて住んでいた。

ホームズがワトソンに事件の説明をする。
「そして事件のほうだ。月曜日の午後3時、マッカーシーは人に会う大切な用事があるから、とボスコム沼に向った。そしてマッカーシーのあとを息子のジェームズが鉄砲を片手に追いかけていったのを目撃されている。そしてボスコム沼でこの二人が激しく言い争っているのを目撃されている。そしてジェームズは父親が死んでいると沼の番人に申し出た。父親は頭を鈍器のようなもので殴られていたが、死体から数歩のところに息子の猟銃がころがってあり、さもその台尻で殴り殺したといわんばかりだった。そして息子はすぐに逮捕されたわけだ」

しかし裁判でのジェームズは殺害は否定するものの、口論の原因を述べる事を固く拒んでいると言う。
ターナーの娘アリスが到着した二人を迎えた。
彼女は、ホームズに父子の言い争いの理由を打ち明け、ジェームズの人柄から彼は絶対に殺人など犯していないと訴える。

「ジェームスは虫一人殺せない優しい男性です。あの人がお父様と口論したのは私と関係のあることなので、検察官に言わなかったのです」

「どう関係があるのですか」

「お父様のマッカーシーさんは私とジェームスの結婚を強く望んでいました。ジェームスはまだ若いのでお父様をよくそのことで口論していたのです」

「あなたのお父様はどうなのですか」

「父も反対でした。賛成なのはマッカーシーさんだけです」

ターナーとマッカーシーは、昔ヴィクトリア州の鉱山で働いていたことをホームズは知る。そして、ターナーはマッカーシーのことをいろいろ援助していた事も知る。

ホームズの凄いのはここからだが、
彼は現場の周りを徹底的に調べ周り、森の中から一つの石を拾う。
そして、これが凶器である事をレストレードに教え、犯人の特徴まで割り出すのだ。

「レストレード君。これが凶器です」

「どうしてわかります」

「石の下の草が生えていましたよ。そこに置いてから2,3日しかならないわけです」

「すると加害者は」

「背の高い左利きの男で、右足がびっこで厚底の靴をはき、灰色の外套を着て、インド産の葉巻のパイプを使っています」

なんで分かるの?

このほかにホームズの興味を惹いた事柄が二つあった。
捕まったジェームズが言った言葉だ。
ジェームズが聞いたのは「クーイ」という呼び声で、普段二人の間で呼び合う合図だったと言う。そして死ぬ間際に言った「ネズミ」がなんとかという言葉だ。
「クーイ」とは豪州人の間で使われる呼び声で、彼はオーストラリアにいた人間と会うつもりだったのだと言う。
そして、「ネズミ(a rat)」とはオーストラリアのバララット(BALLARAT)鉱山の事だったと見抜く。

そんなホームズのところにターナー老人がやってくる。
そして真実を話す。
ターナーはオーストラリアで強盗をしていた。「バララットの黒ジャック」ターナーの仲間がある日襲撃した金塊護送隊の荷馬車の御者がマッカーシーだったのだ。
堅気になってイギリスに戻ったターナーの前に秘密を知るマッカーシーが現れた。その後、ターナーは弱みを握る彼の言いなりになる。

やがて、マッカーシーは自分の息子をターナーの娘と結婚させて財産の乗っ取る事を計画したが、ターナーは断る。
そしてあの日、二人はその問題を話し合うために向かうが、偶然マッカーシーが息子と口論する場を見、娘を罵るのを聞き逆上する。
彼はジェームズが居なくなった隙にマッカーシーを殺す。

真実を知ったホームズはジェームスが死刑の宣告を受けない限り、この告白を口外しないと約束する。

ジェームズは巡回裁判で無罪放免となる。
ターナー老人は告白後、死ぬ。
そしてアリスとジェームスは結婚した。

こんな筋です。

このホームズの措置を考えるかは、あなた次第です。
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2008年05月21日

源氏物語D(夕顔)その2

さて、ようやく「夕顔」の段、本題です。

「六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり」

光源氏が六条御息所のところに通う途中、
丁度大弍の乳母がひどく病んで尼になっていたのを、それを見舞おうとして、五条にある家を尋ねていきました。

大弍の乳母は、源氏の乳母の一人で惟光の母親です。

大弍とは従四位下の官僚で、大弍の乳母はその人の妻です。

隣家の板垣に白い花が咲いている。

「あれは何と言う花か?」と尋ねると、
「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名は人並のようでいて、このような賤しい垣根に咲くのでございます」と言う。

※原文では「遠方人に物申す」と源氏は言うわけですが、
どうして「何と言う花か?」という意味になるのか?
出典によると、古今集に「うち渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」という歌があるそうで、
そこから「この白い花は何の花か?」となるのです。

すると、その隣家の女性は白い扇に花を乗せて持たせる。
もちろん、惟光が取り次ぐのだ。
昔の事、直接そんなやり取りはできないのです。

まどろっこしいですな。

さて、大弍の乳母は源氏の来訪を喜んだが、すっかり気弱になってしまって、心細いのかさめざめと泣くのです。
すると源氏は、自分が幼い頃、母親に死なれてからは、養育する人はいたけど、親しく甘えられる人は、他にいなかったよとシミジミ語ったそうな。帰ろうとして、惟光から先程の扇を受け取ると、
「当て推量に貴方さま(源氏)でしょうかと思っています 白露の光を加えて美しい夕顔の花(のような人)は」

源氏はたちまち心惹かれる。

「この西の家には誰が住んでいるのか?」と惟光に聞くが
ここ5・6日この家に居たが看病で忙しかったのでわからなかったという。当たり前だ。
しばらくして調べた惟光によると、曰くありげな若い女主人がいるという。

かつて「雨夜の品定め」で言う中の品(中流)の女である。
源氏はますます心惹かれるのです。
待ちきれなくなった源氏は覆面で顔を隠し、身なりも変えると、
お忍びで女の家を訪ねた。
すると、女(夕顔の君)はそんな源氏を受け入れる。

女の感じは、驚くほどに従順でおっとりとしていて、物事に思慮深く慎重な方面は少なく、一途に子供っぽいようでありながら、男女の仲を知らないでもない。たいして高い身分ではあるまいと思うが、どこにひどくこうまで心惹かれるのだろうか、もう源氏は止まらない。

彼はやがてこの家に通うようになる。病気だね。ここまで来たら
当然、六条御息所のところに通う回数は減る。

8月15日の夜のことです。
この日もまた女のところに通う源氏だが、
ここは庶民の住むところ、近所の家で人々の会話まで聞こえる。
これでは落ち着かないと、彼は女を連れ出す。
連れ込んだ先、源氏の別荘である河原院は訪れる人も少なく、荒れていて気味の悪いところでした。
女は不安がります。
ここで初めて源氏は覆面を取り正体を明かします。
(それまで顔を見せずに付き合ってたんだね。オドロキです。)
「夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えし縁にこそありけれ 露の光やいかに」

「夕べの露を待って花開いて顔をお見せするのは 道で出逢った縁からなのですよ 露の光はどうですか」と言う意味だそうです。

すると、この女性、たいしたものである。源氏の姿を見ても、

「光ありと見し夕顔のうは露は たそかれ時のそら目なりけり」
(「光輝いていると見ました夕顔の上露はたそがれ時の見間違いでした」)
と言いかえす。

ますます、不思議な気がして心惹かれる源氏です。
ここでもお互いを名乗りあうわけでもありません。

そんな二人の逢瀬です。

ところが、夜半になって少し寝入った頃
風が強くなり戸がガタガタと鳴り出すようになりました。

ふと光源氏が気が付くと、隣りに横になっている女(夕顔)の枕元に女が現れ、『私という女が居ますのに、こんなところまで来て…』と言う。
はっとして起き上がった源氏が夕顔を見ると返事もなくヘナヘナとしている。これはまずい。

明かりが消えて真の闇です。

「私がいるから大丈夫」と言って刀を抜いて魔よけとするが、
結局夕顔はその物の怪のため、息を引き取ってしまいます。

悲しみにくれたまま源氏は惟光を呼びます。

わけを知った惟光は「お任せください」といい、
女の亡骸を清水の尼寺に人知れず運びます。
それも秘密のためむしろに包んで運ぶのです。
そのむしろから長い髪の毛がこぼれているのが悲しみを誘う。
帝の子どもで殿上人もある光源氏が、死んだ女と関わりがある事が知れてはまずい。

一旦は二条院の自宅に帰ったものの、落ち着かない源氏、闇にまぎれて馬を走らせて女の眠る寺に向かったのだが、惟光は帰れと追い返す。

泣く泣く帰るが何度も馬から落ちそうになり、ようやくのことで二条の自宅に帰る。

こうして、源氏のひと夏の恋は思いがけない形で終わってしまう。

その悲しみのせいでもないだろうが、源氏は「おこり」を病んで長く床についてしまった。
「おこり」とは今でいうマラリヤなのだそうで、重病だ。
まあ、物の怪とは無関係だろうが、散々な結末である。

後でわかったことは、夕顔が源氏の親友である頭の中将が「常夏の女」と呼んだ愛人だった事を知った。彼女はそのために中将の正妻に憎まれたため、あの家にかくまっていたらしい。
彼女と中央の間には3歳の姫君がいて、のちに玉蔓と呼ばれます。

夕顔は源氏の中でも、今にも通じる魅力的な女性の一人です。

しかし、この物の怪はいったい何か?
怖いですね。

光源氏17歳、夕顔20歳の事です。
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2008年05月03日

源氏物語C(夕顔)その1

今は、もうやらないけど、月曜夜のsmap×smapの中で、
「源氏物語」をネタにしてコントやゲームをやってなかったっけ?
ローラースケートを履いて登場する光源氏を木村拓哉がやっていて
頭の中将が稲垣吾郎、藤原惟光が草g 剛だったかな?

余計な事はさておいて、
この惟光という人、初期の源氏物語にはよく出てきます。
身分の違いがありますが、いわゆる従者として、
よく光源氏に付き従っております。
友人であり部下であり、ボディガードとでも言うんでしょうかね?
さて、この惟光も活躍する『夕顔』の段

「六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり」と始まります。

六条わたりのお忍び歩きとあるのは、
当時、光源氏には六条御息所という東宮(皇太子)の元妃という、
物凄い高貴な愛人がおりました。
不思議なものですな。
光の正妻は葵の上=左大臣の長女でした。
この葵の上、とてもプライドが高い人なんです。
もちろん、当時の貴族のお姫様ですから、
慎み深く、頭もいい。美しい。でも気も強い。
しかも当時で4歳年上の姉さん女房です。
こんなお嫁さんがデンとお待ちになってる家庭。
…源氏じゃなくても帰りづらい。
ましてや、この話の時点で源氏は17歳です!!
筆者の17歳なんて、まだ女のオの字も知らなかった。
(今は知ってますけどね)
光は12歳で元服(成人)して当時16歳の葵の上と結婚するんですね。

窮屈だったんでしょうね。
年上のシッカリ者でキレイで頭が良くて…気が強い奥さんが

それでなくても、当時の貴族の男たちは、
あちこちと女性の下に通っていたものなのです。
で、前の章(空蝉)のように、それが他人の妻であってもお構いなし。
結婚そのものが通い婚の次代で、
女性=家は、花のように、常に中心にあったわけです。
男はその周りをブンブン飛び回るハチみたいなもの…例えは少し違うかも知れませんが。

で、六条御息所は皇太子の未亡人、16歳で結婚して娘さん(後に秋好中宮)をもうけ、20歳で死別し、実家に帰って来た源氏にとっては年上のお姉さんです。
またこの人が頭がいい、教養に溢れ、気品も高い…
ね?だんだん足が遠のいてしまうわけなんです。
しかし、通う限りは必ず行かねばなりません。
また、相手の足が遠のくと言う事は、言えからなかなか出られない姫にとっては、寂しく、悔しい話なのでしょう。
しかし、プライドが高い女性は、帰る男にすがりつき、
「早く来て!」と言う事もできない。
自分から「愛してる」と叫べない。

ああ、どんどん横道に逸れていく(苦)
そんな六条御息所の家に足取り重く通っていた頃、
惟光の母親で源氏の乳母でもあった大弐乳母という人をお見舞いに行った事からこの物語は始まるんですね。

長くなったんで、この話はまた次に




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2008年03月30日

寺山修司の競馬文学




競馬の文学と言えば、何を思い出しますか?
一時期は宮本輝の「優駿」が映画にもなって話題になりましたね。
実在の馬、メリーナイスがモデルになった話で、競馬に携わるいろんな立場の人たち〜馬主・牧場主・調教師・騎手などの思いがよく描写されていました。

しかし、競馬には、馬という美しい生き物を仲介にしたピュアな世界であると同時に、ギャンブルというもうひとつの側面があります。

寺山修司の競馬文学には、緑の牧場も、藁の匂いのする厩舎も出てきません。
彼の文章には、歌舞伎町のトルコ風呂(今はソープランドと呼ばれてますが)や深夜映画館や、新宿の飲み屋がでて来ます。
登場人物も、トルコ風呂で仕事中に死んでしまった唖者の女を忍んで「声の出ない馬」に賭け続けるバーテンの鉄、
元相撲取りで、大きな馬の馬券を買うノミ屋の集金係大ちゃん、
2着の馬を当てる名人だったヒモ流しの長さん、
金曜の夜になると、どこからともなく集まって隻眼の馬を探してその馬券を買うという「片目のジャックの会」、
東大に8回落ちてミストルコ(ソープ嬢)になった今も女の時代を信じて牝馬しか買わない蜜枝…。
人生、少し横にはみ出した人たちが出てきます。
夜、タバコの煙、安酒の入ったコップ、そして背中を丸めた男達。
彼の本に出る競馬は、近頃JRAが宣伝するようなスノッブなものではありません。
それは男達の苦しい人生や儚い夢を投影したスクリーンなのです。

「競馬への望郷」(寺山修司 作)

この本に納められた物語の中でも、特に好きなのは、新宿歌舞伎町裏通りにある酒場「ダメおやじ」に集まって、未勝利の馬を買い続ける男達の話です。
このダメおやじの会、大學を10回受けて10回落ちた男、49回失恋した男、女房に逃げられた男など要するに人生負け続けの男達の集まりです。
彼らが買うのは勝てない馬達〜未勝利馬です。
彼らは人生に勝てない自分を投影する未勝利の馬達を愛し、その馬券を買い応援する一方で、その馬が勝たない事を心の奥底では願っているという、複雑な心情で競馬に参加するのです。

妻に逃げられ、失業し、何もかも失ったダメおやじのどんガメ。
彼はどん底の自分の秘かな自負と小さな夢をサクラコという未勝利場に賭け、その馬券を買い続けます。

ほれ込んで馬券を買い続けて10戦目、ついにサクラコはレースに勝ちました。

「サクラコ万歳!」

どんガメは取った馬券で朝まで飲みました。しかし、飲んでるうちにわびしくなります。サクラコも勝って自分の前から居なくなってしまう。自分はいつまでも未勝利のままだ。どう生きればいいのだろう?
翌朝一番、どんガメは都電に飛び込んで、死んでしまうのです。
若い頃、この話を読んで、不覚にも泣いてしまいました。
僕も若いくせに早くも人生に絶望し、未勝利の自分に絶望していたからです。
しかし、どんガメが死に、その後寺山修司自身も死んでも
僕は死にませんでした。
G1クラシックは取れませんでしたが、僕の人生という競馬にはまだ終わりはありません。

この本の冒頭の詩「さらば ハイセイコー」は、当時繰り返し読んだものです。

「ふりむくと 一人の少年工が立っている 彼はハイセイコーが勝つたび うれしくて カレーライスを三杯も食べた…」と始まるこの長い詩の終盤にはこう書かれています。

「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースが終わるわけじゃない 人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の名も無いハイセイコーの群れが 朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる」

百万頭のハイセイコーの群れとは、人生を生きる我々自身だったんだね。
寺山修司の「言葉」はあれから30年以上過ぎても僕の心を揺振り続けます。
posted by とたけけ at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家た〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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