2009年07月18日

江戸に遊ぶ12(山本周五郎『やぶからし』)


やぶからし (新潮文庫)

やぶからし (新潮文庫)

  • 作者: 山本 周五郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: 文庫





小説には面白い小説と面白くない小説の2種類しかない。

こんな事を言ったのは誰だったろう?

昔は、意味も無く、難しい小説をありがたかったりしたものだが、人生も折り返し点を過ぎた今は面白いおと思う本はむさぼり読んでいるといった感じですね。

さて、山本周五郎だが、「青べか物語」は読むのに苦労した気がしたが、「寝ぼけ署長」「赤ひげ診療譚」「さぶ」…みんな読みやすく面白く、時にはやるせないものもあるが、だいたいはすっきりした読後感をくれる。
今回読んだ「やぶからし」は昭和11年から35年くらいにかけての作品集です。

人間が、抗うことのできない運命の中で、逆らうでもなく、ただ流されるわけでもなく、懸命に生きようとする人々の姿がこの小説集には見えてくる。

「入婿十万両」の浅二郎も、「抜打ち獅子兵衛」の左内も、「山だち問答」の玄一郎も、周囲の誤解も委細気にせず自分の道を貫いている。
「やぶからし」のすずや「菊屋敷」の志保は周囲の運命に翻弄され、その運命に流されながら、泣きながら生きていく。

もちろん戦前の作もあるわけで、最初の方の作品をさして軍国主義だ。ご都合主義だと言うは簡単だが、時代の制約の中で人間を描いていった山本さんの優しいまなざしが僕は好きだ。

posted by とたけけ at 08:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

色闇(山藍紫姫子)


色闇 (角川文庫)

色闇 (角川文庫)

  • 作者: 山藍 紫姫子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/02/25
  • メディア: 文庫




作家の名前は(やまあい しきこ)と読みます。
これもまた、先輩の時代物の蔵書から譲り受けたものなのですが、
相当色合いが変わっています。

早い話がBLもの、耽美ものです。
このブログを読む方々が、この種の小説を読むのかわかりませんが、
僕は読んだので、紹介するわけです。

これは「大江戸捕り物秘帖 狗−いぬ−」というシリーズ?ものです。
主人公は月弥という美貌の陰間。
陰間とは、売春婦の男版と言ったら簡単ですが、
江戸時代には陰間茶屋という場所もあり、
戦国時代の稚児じゃないが、男色も普通に存在していたようです。
ホモ・セクシャルと言うより、両刀使いというのかな?
男と女では味わえない、男と男の間だけにある性の快楽があったという事です。

さて、この月弥、ただの陰間ではない。
元は江戸中を震え上がらせた犬神の早太郎という盗賊一味の二代目
早太郎一味を捕らえ、壊滅させたのが、後に月弥の「飼い主」になる
牙神左衛門之丞尚照という、元火付盗賊改長官。
長官時代に妻子を人質に取られ脅迫をい受けたのを退けたために、
妻を陵辱の上殺され、息子は行方不明となった牙神は職を辞し、
今は市内見回りといった閑職に就く。
長官時代の鋭さは影を潜め、腑抜けの昼行灯といった様子だが、
裏では若年寄の篠井長門守の命を受け、法で裁けぬ悪を取り締まる役目に就いているのだ。
月弥は牙神の色小姓であるとともに、彼の密偵(狗)となって働くのである。

これが大まかな筋立てなんだけど、中身は、まあ、男と男のめくるめく官能の世界ってやつですな。

牙神の後任に就いた中郷主膳は切れ者として評判を得ていたが、
その裏では、盗賊を操り、押し込みを働かせたうえに家人もろとも皆殺しにして、盗んだ金品を着服しているとんでもない男だった。

牙神は、月弥を中郷の元に送り込み、陰間の技で彼を篭絡させ、
そのたくらみをつぶそうとするのだが…。

好きな方は読んでみてください。
世界感が変わるかもしれませんよ。
posted by とたけけ at 09:15| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

ムッシュ・クラタ(山崎豊子)


ムッシュ・クラタ (新潮文庫)

ムッシュ・クラタ (新潮文庫)

  • 作者: 山崎 豊子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1993/08
  • メディア: 文庫




山崎豊子と言えば…華麗なる一族(キムタクでドラマ化)、大地の子(NHKでドラマ化)、不毛地帯(ドラマ化予定)、二つの祖国(NHKでドラマ化)などなど…長い作品が多く、ドラマで見てしまうと原作を読む気がしなくなると言う訳でもないんだけど、長い作品(分冊化したもの)は、まともに読んだ記憶がない。

この作品集「ムッシュ・クラタ」は、読みやすい短編集であり、解説によれば、山崎豊子さんのほかの作品とは毛色が違うものだそうです。

表題作はフランスを恋人のように愛した一新聞記者の生涯をさまざまな人の証言を組み合わせて浮き上がらせていくというもの。
鼻持ちならないフランスかぶれのオトコから、気骨あるダンディの一面まで積み重なるように浮き上がってくる。

まあ、考えてみれば、文学で書かれる人間像だって、どこか作者の意図をもって切り取られた一面でしかないわけで、最後の最後になって「ふうっ」と軽いため息がでるような作品と言えばいいんですかね?

この他の「晴着」「へんねし」「醜男」といった、この作者にしてみれば短い作品でも、凝縮したような人生がページから飛び出してくるようで、それぞれ興味深かった。

中でも「醜男」は切ない…。

もったいないくらいの美人の嫁さんをもらったことが自慢だった醜男の万年係長が、定年間近になって「目覚めた」嫁に逃げられ、振り回され、たまに来る無心の手紙に嬉々として応じて復縁を迫ってすがり付き、捨てられて(悲しいったらありゃしない)ようやく自分を好いてくれる女に巡り合って立ち直りかけたが、今度は病気になり、死ぬ間際に口に出したのは逃げた前妻の名前。(看取った女にしてみればいいツラの皮だよな)
その前妻からは「最後の」無心の便りが届いていたわけで。
看取った後妻には何も残すことができなかった男…情けなく悲しい人生である。

この他にも、
「晴着」の主人公の(何もいい事がないような)人生も切ない。

「へんねし」では旦那の浮気に耐える一見いい女の裏に隠れた怖さを最後の最後にドーンと見ることになる。

この種の作品もいいよな…。
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2009年06月13日

奇想小説集(山田風太郎)


奇想小説集 (講談社文庫)

奇想小説集 (講談社文庫)

  • 作者: 山田 風太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 文庫




山田風太郎を読んだ。

まあ、有名なところは、『警視庁草紙』や『甲賀忍法帖』なんだろうが、この「奇想小説集」を図書館で借りたのは、この中に入っている『黄色い下宿人』というホームズものがあったからだ。

話は、文学者クレイグ博士が、隣人であるジェームズ・フィリモア氏が失踪した事をホームズに相談したところから始まる。
ホームズとワトソンがクレイグ博士の家を訪ねると、そこには東洋人の先客がいた…。
この作品で、ホームズはこの東洋人(日本人)に推理上の敗北を喫してしまうのだが、彼こそ留学中の夏目漱石だったという筋である。

しかし、読んでみると、どちらかと言えば正統的な『黄色い…』より最初の『陰茎人』の着想に度肝を抜かれた!

なにしろ、体内の臓器が上下逆についたばかりに、花が股間にあり、男性のシンボルが顔のど真ん中に鎮座するという、マンガにもなりそうもない話なのだ。エロマンガならかろうじて物語になりうるかも知れないが。
 作家の力量が想像力ならば、この文字通りに奇想天外な前提からどうやって話を進めてオワリまで破綻せずに書ききることができるのか?
山田風太郎はやはりすごい。

その他体全体が液体のようにグニャグニャに曲がる女との情事におぼれた男の話(『蝋人』)、人口抑制のために制欲帯の着用と性交時間の制限を政府が義務付ける話(『満員島』)、売春防止法が施行されて、行き場のなくなったモテナイ男のために作られた自動射精機が飛ぶように流行していく話(『自動射精機』)処女を失った女性は額にツベルクリン反応のように丸い輪が浮かぶクスリ「ハカリン」が巻き起こす騒動(『ハカリン』)など、この人しかできそうもない発想の作品ばかりである。

山田ワールドの一端に溺れてみるのも一興かと思いますよ。
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2007年09月17日

「陰陽師」夢枕獏〜平安朝のホームズ物語


ほろほろと酒を飲んでいる…

正確にはそんな文章ではなかったが、
ボクは個人的に「陰陽師」の中に出てくる
晴明と博雅の酒盛りの場面が好きだ。
瑠璃の杯でほろほろと酒を飲みたいものだといつも思う。
(実際はジョッキでビールをガブガブと…風雅な響きは全くない。)

いつも不思議な雰囲気を漂わせる晴明の邸に事件を持ち込むのが源博雅。この人、醍醐天皇の孫で従三位、れっきとした天上人である。

言い伝えでは
「朱雀門の鬼から名笛「葉二(はふたつ)」をもらい、
琵琶の名器「玄象」を羅城門から探し出し、
逢坂の蝉丸のもとに3年間通いつづけて遂に琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」「啄木(たくぼく)」を伝授されるなど、今昔物語などの多くの説話に登場する」そうな(これはウィキペディアで調べました。)

そんな博雅をパートナーに平安朝の難事件を解決していく安倍晴明はさしずめシャーロック・ホームズというところだな、博雅がワトソンで…と、思っていたら、文庫本の解説に同じようなことが書いてあった。

うれしいが、少しガッカリ。

マイペースで、ニヒリストの側面を持ちながらプライドと気品を感じさせる晴明は、まさにホームズ、正直で誠実な博雅はワトソンそのものである。「高名な依頼人」が多いのも特徴。

映画「陰陽師」では野村萬斎が格調高い晴明を見せた。博雅は「海猿」の肉体派伊藤英明が誠実だが少し抜けた感じで演じていた。NHKで放送した同名のドラマでは稲垣吾郎がスノッブな晴明を演じ、博雅は何と「元銀蝿ファミリー」の杉本哲太(少しゴツイよな…)

夢枕さんの意図はわからないが、いつまでも続けて欲しい小説である。
posted by とたけけ at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

ブラザーとシスターと〜山田詠美の黒人恋愛小説




山田詠美の本だったら、映画になった「ベッドタイムアイズ」なんだろうけど、僕が読んだのは「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」文庫本だった。
この本が出た頃、僕は長編小説が読めなくなってた。
理由は、生活に余裕が無かったから。
金銭的にではなく、精神的に。
この本も、短編で読みやすいかと思って読んだ。

…挫折した。

文体の問題では無く、作品を貫く世界観が、当時の僕と相容れなかった。「リゲイン」の宣伝みたいに働いていた(仕事はできなかったけど)自分にとって、ヤルことばかり考えている男と女がいる事自体理解できなかった。当然、当時の自分は精神的にも肉体的にも童貞だったわけでね。
あれから20年もたってから読み直してみた。
例えばこんなところ

「黒人の男(ブラザー)にはそれにぴたりと来る女たちってのがいるもんよ。なんだって最近の男たちは、ああいうのとくっつきたがるんだろう?あの薄い唇!メイクラブしたってたいしたおもしろかないわよ。ブラザーのディックにはあたしたちの厚い唇のためにあるのよ」(黒人女のジャネイラがブラザーと踊る日本人の娘を指して言うセリフ=what's going on)

凄いでしょ?
でも、こういう世界に慣れてくると、時にはねっとりと官能的な、時には乾いた文章の中、切ない男と女の愛と別れが浮かび上がり、読後胸に残ってくる。
「男の体を求めるのは最初の半年でいの。それから後は心が欲しい」
「体はね、お菓子のようなものよ。心はね、パンのようなものなのよ。ベイビー」
(me and mrs.Jones)

変に上滑りしている精神的恋愛論じゃなく、さりとて巷のエロ小説のように、ひたすら肉欲を追求し続ける小説でもない。
本能的に、そして貪欲に体を求め合いながら、実際は心にあいた隙間を埋めようとしているブラザーとシスターの物語である。

文庫版のあとがきが本編並みに面白い。
体で男を愛して耳から注ぎ込まれる音楽を心で愛して、私の指は永遠に宿題をその間に携えている。だから、私は紙の上でペンを使ってビートを奏で続けるのだ」
「私の心はいつだって黒人女(シスター)だよ。日本語を綺麗に扱えるシスターは世の中で私だけなんだ。」


この文を読んだ時に僕の違和感が少し解消した。
日本人の男である僕には理解しにくい感情のままに行動する愛すべき黒人男性のことを彼女が書くのは自然なことなんだ。
彼女は日本語の上手な黒人女(シスター)なんだもの。

だからその魂が熱くて強い。
しかし、1回言ってみたいもんだね。
「今度会ったら、気が狂うほどやりたいね、ベイビー」
posted by とたけけ at 04:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

吉本隆明「共同幻想論」〜知の高い壁




この題名を読んだ人は、
ボクがこの本を読破して解説してくれると思っただろうか?
否である。

今でこそ「ばなな」のお父さんで有名なこの人。
戦後60年代70年代には新左翼のシンパだった。
ただ、ボクのように、学生運動のシッポに連なる学生だったものにとって、吉本隆明とは「難しい」「読みにくい」の代名詞だった。
そう言うと軽蔑されるかも知れないけどね。
序文からしてわかりにくい。

「言語の表現としての芸術という視点から文学とはなにかについて体系的なかんがえをおしすすめてゆく過程で、わたしはその試みには空洞があるのをいつも感じていた。ひとつは表現された言語のこちらがわで表現した主体はいったいどんな心的な構造をもっているのかという問題である。もうひとつは、いずれにせよ、言語を表現するものは、そのつどひとりの個体であるが、このひとりの個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうちどう位置づけられるべきだろうか、人間はひとりの個体という以外にどんな態度をとりうるものか、そしてひとりの個体という態度は、それ以外の態度とのあいだにどんな関係をもつのか、といった問題である。」

ね?難しいでしょ?
こんな調子で続く、
文庫本で24ページもあるこの序文を乗り越えて禁制論にたどりついたときにはもう疲れきっている。

中身は
禁制論、憑人論、巫覡論、巫女論、他界論、祭儀論、母制論、対幻想論、罪責論、規範論、起源論

ある評論家は、この共同幻想論が文庫になった事について
「吉本は昔、学生にとって『学問は難しいんだぞ』という高い壁になっていた。それを読みやすく文庫本にしても意味がなく、また容易に理解できるとも思われず、一般に普及させるのは反対だ」と言っていた。

ボクが吉本を知ったのは対談集、評論集だった。
後に対立することになる埴谷雄高との対談集が最初。
言葉で聞くと面白いので評論を買ったらこれが難しい。
吉本隆明入門
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/117/
吉本隆明ワールド
http://shomon.net/ryumei/
学生達が学問の世界に入る時の厚い扉だった吉本の共同幻想論。
ボクは今でも読破できません。
posted by とたけけ at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

あえて柳美里は「家族シネマ」を読む。





実は、柳美里という作家の作品は意識的に読まなかった時期がある。
なんでかなあ…。
私小説的な作風が自分のフィーリングに合わなかった時期があって、
そんな作家一人が柳美里だった。

彼女に興味を持ったきっかけは、「命」が映画になった事だった。
東京キッドブラザースは、その昔柴田恭平、三浦浩一、純アリスらがいて、一時期、ボクらのような当時の若者達に影響を与えたミュージカル劇団だった。
※思えば、演劇が力を持っていた時期があったんだね。

そのリーダーが東由多加。

彼の生と死を扱った「命」実は立ち読みした原作も映画も全然共感できなかった(苦)いや、それを読んで、世間の評判ほどの感動を受けなかったため、私小説には共感できないのかな?と思ったわけ。

次に彼女に興味を持ったのは、
「石に泳ぐ魚」がモデルとなった女性から訴えられた事だった。
私小説って、自分のことも含めてだけど、ドキュメントを文学として観賞に耐えるレベルまで引き揚げるのは難しいなと思ったものだ。

で、ボクが読んだのは「家族シネマ」(芥川賞受賞作)
崩壊した家族を際させるきっかけとして家族で映画に出演するというもの。
家族の崩壊や再生を扱ったものは、いろいろあるけど、
同じ家族の崩壊を扱ったものなら重松清の諸作品の方がはるかに共感できる。
(同じ作品集に出て来るいじめを扱ったものについても)

この作品は、例えば山田太一「岸辺のアルバム」なんかと比べると、面白いかも知れない。

「家」を中心にした家族の崩壊を扱うのは同じだが、
「岸辺…」は洪水で流されてしまう家を前にして家族がもう一度再生に向けて動き出す。

「家族シネマ」ではどれほど空疎な芝居をしても、家族の崩壊〜崩壊ではなく、消滅といったほうがいいかもしれない〜は止められない。

父親だけが、その家と家族にしがみつく。こっけいなくらい。

「家族」という幻想にすがりつき、かろうじて、その中で自分のプライドを維持しているからだ。

父親って…寂しいね。愚かだね。

適当な感想を書きなぐって申し訳ない。
所詮ボクには、文学的観察眼はないんだ。
posted by とたけけ at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

山本周五郎「ねぼけ署長」




山本周五郎の本に初めて触れたのは、
「青べか物語」
正直、読みづらくて苦労した。
次に読んだのが
「さぶ」
「赤ひげ診療譚」
そして
この「ねぼけ署長」である。

「赤ひげ」の正義感みたいなものは
この「ねぼけ署長」にも通じている。

市井の人々に向ける視線は優しいデス。
そういう意味で山本作品は好きです。
もちろん、理解できない作品もあれば同意できない作品もあるけどね。

そういえば、
何かの評論で山本が書いた「日本婦道記」を酷評し、
思想的に彼の全作品を批判している人を見かけたが
(名前忘れちゃいました〜でも佐高信じゃないですよ)

オレは思うんですけど、
一作品をもって作家の全存在を批判する手法はどうなんでしょうね。

まあ、作家は生み出した作品がどう解釈されても仕方がないわけで、まあ、作品は世に出た瞬間に作家のものではなくなるんですよね。

そんなわけで、わけのわからない内容ですが、
ボクは「ねぼけ署長」が好きです。
posted by とたけけ at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

吉村昭の「羆嵐」


たぶん、大學生になって最初に読んだ小説は、吉村昭さんの「戦艦武蔵」だったと思う。
当時は1人1作品を読んでいこうと決めていたので、吉村作品はしばらく読むことがなかったのだが、その後、ドラマになった「羆嵐」を読んだ後「冬の鷹」「漂流」「破獄」「光る絵画」と続けて読んだ記憶がある。

その後ずっとマンガに行って小説は読まなかったのだが、

数年前になってまた図書館で小説を借りて読むようになったら、また吉村作品で、新しいものを選んだつもりが、「面白い面白い」と思い後で見直してみたら、以前読んだものだったのはご愛嬌。

印象が強いのが「羆嵐」
「羆嵐」はTBSのラジオドラマになった、これはWikipediaにも出ていたので間違いない。
苫前の三毛別六線沢に熊が出て住民を襲った話。
(この作品は吉村作品の中でネットで一番ヒットした。)
出演は主役の飲んだくれの熊撃ち「銀じい」に高倉健、六線沢の集落の住民で、熊に襲われてお腹の子供ごと食われてしまう犠牲者の女性の役は倍賞千恵子、回想シーンの語りは笠智衆だったかな?これはたぶんテレビドラマにもなったはず。配役は忘れたが森田健作元参議院議員が喰われた妻の仇を打ちに、「銀じい」についていく役だった記憶があるけど、どうだろ?

詳しくはこちらへどうぞ
「吉村昭資料室」
posted by とたけけ at 03:06| Comment(0) | TrackBack(2) | 作家や〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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