2007年06月07日

谷川俊太郎






谷川俊太郎と聞いて一番有名な詩ってナンだろう?
なにしろ膨大な作品を残されている方だから、
これといって一つを上げる事も難しいだろうなあ。

まずは「鉄腕アトム」でしょうか?
「空を越えて ラララ星の彼方
ゆくぞアトム ジャットの限り
心やさし ラララ科学の子
10万馬力だ 鉄腕アトム

耳を澄ませラララ目を見張れ 
そうだアトム 油断をするな
心ただし ラララ科学の子
7つの威力だ鉄腕アトム

街角に ラララ海の底に
今日もアトム 人間守って
心はずむ ラララ科学の子
みんなの友達鉄腕アトム」

あと、教科書に載ってた詩で
「このこ のこのこ どこのこ このこ
このこの こののこ なかなか きれぬ
そのこ のそのそ そこのけ そのこ
そのこの そのおの なかなか きれぬ」
って言うのは確か谷川さんじゃなかったっけ?

あと、チャーリーブラウンやスヌーピーでおなじみのピーナツ・ブックの訳者であったり、マザーグースも訳してましたよね。

チャーリー・ブラウンのセリフで「OH Good Grief」とかいう英語があるんですが、その言葉をどう訳すかについて谷川さんやみんなが苦労した話を何かの本で読んだ気がします。

それとも、ピーナツブックの解説文だったかな?

覚えてません。スイマセン。

確か、谷川さんは「ヤレヤレ」と訳しているんだけど、
古い言い回しのニュアンスが出せないので、
それでよかったかなあ?と後で悔やんでいると言う話でした。

個人的な話ですが、
ボクの卒業した札幌の某高校の校歌は谷川先生の作詞によるものです。ハイ!
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2007年04月21日

大手拓次の詩を語りません?

大手拓次という詩人をご存知ですか?

元合唱団だった僕らは合唱曲の歌詞として多くの詩人の詩に触れました。

草野心平しかり、八木重吉しかり、中原中也もまたしかり。

合唱団も一種の再現芸術家ですから、
表現のためには詩の観賞が重要です。
(言葉の意味もわからずに歌うとおかしな歌になるのです)
そんなわけでボクは合唱曲から彼の名前を知る事になります。

「白い火の姿」(グリークラブ・アルバム)

この曲を歌うためにボクは大手の詩集を読み、その不思議な感覚(だいたい詩人のことばに関する感覚って独特なんですけどね)に惹かれたのです。彼は近代詩から現代詩に繋がる幻想的な象徴的な流れの始まりに立つ人かな?と思います。亡くなったのは1934年、70年以上も前の話です。

「ひとつのつらなりとなって、
ふけてゆくうす月の夜をなつかしむ。
この みづにぬれたたわわのこころ、
そらにながれる木の葉によりかかり、
さびしげに この憂鬱をひらく」(秋)

草野心平は蛙を歌いましたが、大手拓次は蛇と薔薇を詩にします。香料も詩にします。
そんな彼の詩は長くてなかなか書ききれないのですが、



彼を語るサイトは多いのです。
大手拓次を読んでみませんか?
語ってみませんか?
紹介サイト

大手拓次の窓
Toon's Libraryより
大手拓次小事典

青空文庫「藍色の蟇」

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2007年03月22日

室生犀星「抒情小曲集」




萩原朔太郎「純情小曲集」と室生犀星「抒情小曲集」はよく国語の試験で紛らわしい作品名でテストに出たなあ。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて 異土の乞食(かたゐ)になるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや」

これは「抒情小曲集」の最初の詩「小景異情」のその二だった。
小景異情はその6まであるんだけど。
この詩があまりに有名で、ボクはこの詩がすっと「ふるさと」だと思っていた。

この「ふるさとは…」の詩も好きだが、もう一編紹介したい。

「いづことしなく しいいとせみの啼きけり はや蝉頃となりしか せみの子をとらへむとして 熱き夏の砂地をふみし子は けふ いづこにありや なつのあはれに いのちみじかく みやこの街の遠くより 空と屋根とのあなたより しいいとせみのなきけり」

これは蝉頃という詩で犀星がみやこ=東京に帰ってきてから書いたものです。

ここの蝉は何蝉でしょうかね?
この詩の中では蝉のなく声すら寂しく聞こえるね。
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2007年03月04日

草野心平


草野心平
蛙の詩人、富士山の詩人といわれているそうな。
確かに草野心平の描く蛙の詩は有名だ。
時に蛙を俯瞰し、時に蛙になって書かれるその詩は
実験的なものも多く、ひとつ間違えれば素人の言葉遊びにみえてしまう。

「るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」(春殖)

「●」(冬眠)

でも、これは草野心平しか書けないものです。
僕らが書いたらバカに見える。(苦)

「侏羅紀以来。 蛙の世界に神はない。
性が社会。 歌が政府。
そして全部が平凡な庶民だった。」
(白い蛙〜一部)

蛙の世界を神のない、性と歌で結びついたシステムと捕らえていたらしい。「神のない世界」が幸福な社会かどうかはいろいろ言い方もあるのだろうけど。

「中原よ
 地球は冬で寒くて暗い。
 ぢや。
 さやうなら。」
(空間)

これは中原中也について書いた詩

「弓なりの。
月の天末線からするり。
メロンのやうな青い。
まんまる。

地球がせりあがる。

あばたの。blue-grayが。
宇宙天にぽつねん浮きあがる。

 太平洋も。メコン河も。
 エベレストさへもさだかには何も見えない。
 砲声もジャズもそんなものはライオンの吼え声も無論。
 きこえない。

地球もまた。ここからは美しい死。
光る永遠。」
(地球)

これは地球について書いたスケールの大きな詩

ボクが好きな草野心平の作品は「大白道序詩」です。

「自然と人間のなかにはひると。
そのまんなかにはひってゆくと。
みづうみ。
かなしい湖が一つあります。
その湖がおのづから沸き。
怒りやよろこびに波うつとき。
かなしみうづき爆発するとき。
わたくしに詩は生れます。
二本の流れのなかにゐて。
自然と人間の大混沌のまんなかから。
わたくしは世界の歴史を見ます。
湖のソコに停車場があり。
わたくしは地下鉄にのつて方々にゆき。
また湖の底にかへつてきます。
なきながら歌ひながら。
また歌ひながらなきながら。
つきない時間のなかにゐます。」


「自然と人間のなかに〜」から
「わたくしに詩は生れます。」までの序の部分も好きですが、
終盤の
「なきながら歌ひながら また歌ひながらなきながら」というフレーズが印象的でした。

合唱団時代は草野心平の詩による歌を歌ったので、その関係で草野心平の詩集を読むようになりました。
何よりもこの人、「火の車」「学校」という居酒屋の店主でもあったというところがいいじゃないですか。
酒の飲めない詩人なんか面白くないですよ(笑)

「いわき草野心平記念文学館」
には詩人草野心平について詳しく出ていますので、
興味のある方はどうぞ。
posted by とたけけ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

サトウハチロー「おかあさん」




「この世の中で一番 美しい名前 それはおかあさん 
この世の中で一番 やさしい心 それはおかあさん 
おかあさん おかあさん 悲しく 愉しく
なんども くりかえす ああ おかあさん」(この世で一番)

「たくさんの たくさんの おかあさんがいます
たくさんの たくさんの こどもがいます
その たくさんの たくさんの おかあさんと
たくさんの たくさんの こどもさんたちへ
ボクはこの詩集をささげます

ボクのように 
もうすぐ 六十になるものでも
おかあさんにとってはこどもです
また十六やはたちでも
お子さんがいれば おかあさんです
そのみなさんたちに
ボクは申し上げます
ー母ありてこそ われありー
ボクは おふくろがすきでした」(序)

少し長い引用をしました。
これでもか これでもか と母へ対する子供の思い、子供に対する母の思いを書き綴った詩は300余におよびます。
そのボリュームはものすごく
原著は1〜3集までありますが、その他にもいろんな形でこの詩集は出版されています。

いろんな母と子供が出てきます。
「ちいさいちいさい人でした 
 ほんとにちいさい人でした
 それよりちいさいボクでした
 おっぱいのんでるボクでした」(ちいさい母のうた)

この詩集の母と子は愛し合っている。
ホント、せつないくらいに…
詩の世界の中で、
母と子は同じ景色を見、貧しさを分かち合い 喜びを分かち合い 子は母を求め 母は子を愛する
現実の世界では、今や母が子供を殺し、子供が母を殺します。

どーしてなんでしょ?

いつか 子は母を失い 母は子を失う
これだけは間違いのない話で、
愛するものを失う喪失感は相当苦しいもので

ボクも母を失った時は
ダメージが重かったなあ。

子供を殺す母親は 愛情を失ってしまったのか
母を殺した子供は 愛情を受けなかったのか

悲しいねえ…

いやはや、またグチになっちゃった



posted by とたけけ at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

宗教詩人八木重吉の短詩




少し、気取った言葉を使っちゃうけど、
詩歌とは研ぎ澄まされた「ことば」の結晶であり果実であると思うのです。
詩人の魂がやどり、その世界観が映され、無駄をそぎ落とさしたその「ことば」には隙がない。

八木重吉の短い詩に触れるとき、ボクはそう考えてしまいます。

「雨の音がきこえる 雨が降っていたのだ あのおとのやうにそっと世のためにはたらいてゐよう 雨があがるやうに静かに死んでゆかう」(雨)

「とうもろこしに風が鳴る 死ねよと 鳴る 死ねよとなる 死んでゆかうとおもふ」(風が鳴る)

「かなしみと わたしと 足をからませて たどたどとゆく」(悲しみ)

「花がふってくると思ふ 花がふってくると思ふ この てのひらにうけとらうとおもふ」(花がふってくるとおもふ)

「もくもくと 雲のやうに ふるへてゐたい」(雲)

「くものある日 くもは かなしい くもの ない日 そらはさびしい」(雲)

「ふるさとの川よ ふるさとの川よ よい音をたててながれてゐるだらう」(ふるさとの川)

「心のくらい日に ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる」(故郷)


八木重吉が結核を病んで死んだのは29歳8ヶ月の事。
彼の短詩は彼の短すぎる人生と同じく濃厚なものだった。
ボクは2月10日で47歳になった。
人生、長さじゃないと思いつつ、
うす〜い人生を食ってきたなと反省至極であります。
posted by とたけけ at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

「原爆詩集」(峠三吉)

「ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ 
 こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ 」


この序で始まる峠三吉による「原爆詩集」
ボクはこれを大学生の時に読んだ。
1980年頃のことである。
原爆というものを取巻く状況はその頃とちっとも変わっていないとつづく感じる。

「あの閃光が忘れえようか
 瞬時に街頭の三万は消え
 圧しつぶされた暗闇の底で
 五万の悲鳴は絶え(八月六日)」


「!
泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨れ上がり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たちこめた塵煙の
きなくさいはためきの間を
走り狂う影(死)」


「衝き当った天蓋の
まくれ拡がった死被の
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼い炎は
煌く火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ち上がった(炎)」

まだまだ続く。
圧倒的な「原爆」による絶望的な「苦しみ」と「死」のイメージ
自ら被爆者である詩人の追求はするどく執拗である。
何回も読んでいる詩集ですが、なかなか最後まで読みきれない「重い」詩です。
詩人の命がけの訴えなのですから、命がけで読むべきなのです。

ところで、今回の本はアマゾンでも見つけられなかった。
図書館か古本屋でごらん下さい
また、今回掲載した峠さんの詩の部分は「新編峠三吉原爆詩集」青木書店刊を参考にしたわけですが、詩の多くは「青空文庫」に載っているようです。
また「広島文学館」データベースに峠三吉の「原爆詩集」がありますので、そこで読む事が可能です。
posted by とたけけ at 00:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

萩原朔太郎「純情小曲集」


「こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生(そのう)のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり」(こころ)

「純情小曲集」の中に収められた一編の詩「こころ」
最近になって「ゲド戦記」の挿入歌の盗作騒ぎがおきたこの詩の作者として突然名前が出てきた萩原朔太郎。
象徴詩を語るとき最初に出てくる人である。
そう言えば「世界の中心で愛を叫ぶ」の主人公の名前は「朔太郎」だったっけ。

「およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへのつきをみる。」(およぐひと)

「光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地価には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。」(竹)

1回読んでもよくわかんない。
2回読んでもはっきりとはわからない。
ただ、ぼんやりと胸にしみるような読後感を残す朔太郎の詩
当時は象徴詩とはそう言うものだと思ってみるものの、
まどろっこしくてあまり好きになれなかった朔太郎の詩。

「こころ」のことがあってまた朔太郎を読んでみようかと思った。

朔太郎について知りたい方は
「萩原朔太郎研究所」
へどうぞ




posted by とたけけ at 15:57| Comment(0) | TrackBack(2) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

中原中也に憧れて…

「月の光が照つてゐた
 月の光が照つてゐた

お庭の隅の草叢に
隠れてゐるのは死んだ児だ

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

おや、チルシスとアマントが
芝生の上に出て来てる

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた」(月の光そのT)

「ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖。」(骨ー抜粋)

「柱も庭も乾いてゐる
 今日は好い天気だ

 縁の下では蜘蛛の巣が
心細さうに揺れてゐる

  山では枯木も息を吐く
  あゝ今日は好い天気だ

路傍の草影が
あどけない愁みをする

 これが私の故里だ
 さやかに風も吹いてゐる

心置きなく泣かれよと
年増婦の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ」(帰郷)


「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる

  汚れつちまつた悲しみは たとえば狐の革裘
  汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる

  汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む

  汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき
  汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる……」
(汚れつちまつた悲しみに)

…ああ、書いていくときりがない。手がつってしまう(笑)


ボクにはダダイズムは理解できない。
ボクが中也の詩に感じるものは、
触れただけで壊れそうな繊細さと
自らの天才に対する傲慢なまでの自信、他者の拒絶
そして、詩人である彼自身にしかわからない深い悲しみと疎外感です。
中也の詩を読むと、「誰でも詩人になれるわけではない」と痛切に感じる。

でも、ボクは詩人になりたい…
中也はいまだにボクの憧れである。
すでに彼の没年をとうに越えた今でも。
posted by とたけけ at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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