2007年01月21日

「解夏」さだまさしと言う才能

歌手や俳優といったタレント・アーティストが詩や小説、随筆(エッセー)を書くのはよくありますよね。
山田邦子、斉藤由貴、大槻ケンヂ、木根尚人、他にも黒木瞳は詩集を出しています。(エッセーの盗作問題で断筆した安倍なつみのような例もあるけど)
タレント本はゴーストライター問題が昔からあり、昔から職業作家より一段下に見られがちですが、タレントは感性が豊かで表現する才能がある人が多いので、創作意欲も人よりあると思われます。
その意味では、さだまさしのように作詞をする人は、その延長で小説も簡単に書けそうな気もしてました。
だけど、よく考えれば歌詞という、意味を短い言葉の中に詰め込んで表現するものと、小説のように文章を重ねて、さらに行間を使ってその後ろに意味をあぶりだすようなものは、表現方法が違うんですよね。
(たとえが上手くなくてすいません)
さださんは確かテレビ番組で小説を書き始めたと記憶しているのですが、処女作「精霊流し」に関して言うと同名の名曲を越えるものではないような気がします。
今回読んだ「解夏」は映画になり、ドラマになりそれなりの評価をもらっています。
ボクはその両方とも見ないで今回小説「解夏」を読みました。
とても淡々と、象徴的な表現を抑えて平易な文章で目が見えなくなる恐怖、それを受け入れようとする覚悟と煩悶、彼を見つめる周囲の人々とそれら全てを包む故郷長崎の風景…。
 さだまさしは、やっぱり小説家でした。
「秋桜」「水底の村」「サクラサク」作品の後ろに流れる詩情はそのままで、表現方法は見事に変えてきました。
それだけに、歌のように言葉ひとつに象徴された鮮やかなイメージはないにしても、読後にじんわり湧き上がる感じはやさしいものでした。
posted by とたけけ at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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