2008年11月30日

老人と海(E.ヘミングウェイ)




高校生の時、英語の宿題でこの本を原書で読んだ。
短くて、使った単語も難しくないはずなのに
翻訳には割合に苦労した。
結局訳本に頼る事になるわけだが、
何しろ訳者が福田恆存なもんだから、
(表現が)あっているのかどうか、不安だったね。

あれから30年、
今は、この本を読み直してみようかなと思っております。
僕がサンチャゴみたいになれるかわからないが。
posted by とたけけ at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

ペスト(カミュ)





大学の時に半分読んで脱落した小説。
結局、「ペスト」は諦めて「異邦人」になってしまったわけだが。
今回、久しぶりにカミュを読んでみて、
体力が無くなったなあと実感しましたね。
なんたって、文庫本で458ページもあるんだからね。

ただ、異邦人の主人公が、自分の中でも消化できない不条理を抱えて最終的には死を望んでいくのと異なり、
ペストという大きな不条理に立ち向かう人々の姿に単純に感動したな。
この物語の主人公である医師リューをはじめとして、タルーや官吏のグラン、司祭のパルヌーや記者のランベール、老医師カステルに至るまで、物の考えや信じるところ全て異なる人々が連帯していく。

主な登場人物の仲で死んでいくのは司祭のパルヌー、そしてタルーくらいなもので、実際は多くの名前も出ない人々がこの背景で死んでいくわけで、これが不条理といえば一番の不条理です。

そして、結局のところ、ペストは彼らに負けたわけではなく、勝手に消えていくわけなんだが。

だから、この災厄が再び人々の前に現れない保障はないわけでね。
どこまでも、「死」は不条理なものです。
この本を読んだとき、この「死」というむなしさと、人間には「団結」よりも「連帯」の方が必要だなと感じたことを思い出したんですよ。

僕の感想は、世のカミュに対する評論に比べればその1%にも届いていないものでしょう。
僕は哲学なんざあ、皆目わからないし、まして、社会人生活を長く送ると、それなりに合理的な人間になってしまってますからね。

若いときに読みたくて読みきれなかった古典はいっぱいあります。
いまさらあの日のリベンジで読んでも、もう昔ほど感じることはできないかも知れません。

でも、どんなすばらしい内容のものでも、結局本は読み捨てられてしまうものだと思うので、精読しようとするあまり、途中でギブアップするくらいなら、読み飛ばしてでも読みきってしまったほうがいいと思います。

今から読み直した結果、結局つまらないものであっても、そのつまらなさに気付けただけでも良かったんじゃないかって。
作者の意図や評論家が褒め称える真理が理解できなかったとしても、
「わからない」事を意識できるだけでも、読書の価値はあると思います。
posted by とたけけ at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

子供の心は帰ってこない…(「星の王子様」)




「ねえ、僕に羊の絵を描いてよ」

サハラ砂漠に不時着した主人公の前に現れたへんてこな格好をした男の子。
しきりと羊の絵を描いてくれと懇願するその子のために男は紙とペンを取り出す。

それをきっかけに仲良くなった男の子に、自分が飛行機でここに来たことを話すと、彼は笑って
「なあんだ、きみも空から来たんだ! どの星にいるの?」
と言うのだ。
そして、主人公はこのこども(王子)からさまざまな話を聞くのだ。
ここは、王子がやって来たななつめの星なのだという。
王子はいままで訪れた星の話をする。
年老いた王様が住むひとつめの星
とても小さな王子のふるさとの星。
みえっぱりの住むふたつめの星
のんだくれが住むみっつめの星
とても忙しい、しごと人間のいるよっつめの星
あかりと、あかりつけの入るばしょがあるだけのいつつめの星

王子のふるさとの星にはわがままな花が咲いている。

友達のキツネはいろんなことを教えてくれた。
王子の言葉はいろんな事に気づかせてくれる。
「星がきれいなのは、見えない花があるから……」
「さばくがうつくしいのは、どこかに井戸をかくしてるから……」

そして王子は言う。
「だいじなものっていうのは、見えないんだ……」

「ひとには、みんなそれぞれにとっての星があるんだ。たびびとには、星は目じるし。ほかのひとにとっては、ほんのちいさなあかりにすぎない。あたまのいいひとにとっては、しらべるものだし、あのしごとにんげんにとっては、お金のもと。でも、そういう星だけど、どの星もみんな、なんにもいわない。で、きみにも、だれともちがう星があるんだよ……」


彼は自分の星に帰っていく。
ヘビにたのんだのか、。
なにかが、きいろくひかっただけだった。
くるぶしのちかく。あの子のうごきが、いっしゅんとまった。
そして音もなく、そおっと倒れてしまったのだ。

この絵本を読んで考える事は多い。
気づかされる事も多い。

でも忘れてしまった。
そして今僕はこの星に生きてる。
posted by とたけけ at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

ユタとふしぎな仲間たち(三浦哲郎)




最近は、劇団四季のミュージカルとして有名になった、
三浦哲郎の小説「ユタとふしぎな仲間たち」
東北ののどかな村にやってきた東京からの転校生勇太(ユタ)。
彼は(文中では「ぼく」)田舎暮らしになかなか慣れなかったが、
寅吉じいさんが話す「座敷わらし」の話に興味を持ち、
満月の夜、大黒柱のある古い家に一人で泊まることにする。
すると、そこへ本当に座敷わらしが姿を現すのだった。

ペドロ、ダンジャ、ジュノメェ、ゴンゾ、トガサ、ジンジョ、
モンゼ、ジュモンジ、ヒノデロ…。

みんな、生まれてすぐに飢饉のため口減らしにあった子供たちだという。
彼らの姿は仲間であるユタにしか見えない。
そしてユタは、彼らとの交流を通じて大人になっていくんだね。
生きたくても生きることができなかった彼ら座敷わらしの気持ちに触れながら、ユタは田舎の子供たちに受け入れられていく。

ま、都会から田舎に来た転校生が、大人になっていくテーマは
よくある話だと思うんだけど、
自分の経験を考えても、
田舎に行って地元の子供たちと仲良くなるには、
なにかのきっかけが必要なわけで、
それが、この作品では「座敷わらし」との交流だったわけだけど、
主人公自身が自分で強くなっていかないとダメなんだね。

ほかの例と比較しましょうか?
のび太がドラえもんを介してジャイアンやスネ夫たちをやり込めたとしても、結局のび太自身が強くならなければいけない。
自立した人間にならなければ、仲間にはなれないんだ。
ドラえもんはいつも、そこに苦労する。
ドラえもんに甘えて、四次元ポケットから出てくるいろんな道具で、
目の前の問題を楽してクリアしてしまう現状にね。

ユタが、もしペドロたち座敷わらしの世界に逃げ込むようなら、
それは、やはり仲間たちに認められる一人前の男にはなれなかっただろう。

もちろん、この物語にも別れはやってくる。
ペドロたちが潜んでいた「大黒柱のある古い家」が火事で燃えてしまい、彼らの居場所がなくなってしまったからだ。

ペドロはユタに別れの挨拶をして、彼らの乗り物であるエンツコに乗って遠くの村に飛んでいってしまう。

でも、ぼくには、ユタはもう彼らに会いに行くことはないように思えるのだ。
少し寂しい気はするけど。
大人になるというのはそういうことだから。
posted by とたけけ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家ま〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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