2008年09月10日

名人伝(中島敦)




まずは、大相撲の話から
名横綱、双葉山定次が前人未到の69連勝を果たした後、
伏兵安藝ノ海に敗れた日の夜、自ら師と仰ぐ安岡正篤に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と打電したそうな。

ここでいう木鶏とは、中国の古典「荘子」の中にある有名な話で、
闘鶏の軍鶏を鍛えに鍛えた結果、木で彫った鶏のように何にも動じなくなったという物語です。
「鳴くものありといえども、既に変ずる無し。これを臨むに木鶏に似たり、その徳、全し」
ようは相手の軍鶏が何を泣いても全く動じず顔色も変えず、闘わせれば相手は闘わずして逃げてしまう境地にまで至ったというわけ。

似たような話は他にもあります。
今回紹介しようとしている中島敦の「名人伝」がそうです。
中学生の時に読んだような気がしますね。

「趙の紀昌(きしょう)という男が、天下一の弓の名人を目指し、
百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中すると言われた、東大随一の名人、飛衛(ひえい)に弟子入りした。
最初の教えは「瞬きをしない」という事。
紀昌は妻の機織台の下で仰向けになって眼前すれすれに動く機具を瞬きせずに見つめ続け、2年が過ぎると機具が睫毛を掠めても、鋭利な錐先で瞼を突かれても、不意に火の粉が目に飛入ろうとも、目前に突然灰神楽が立とうとも、紀昌は瞬きをしなくなっていた。
滑稽な話だが、彼は熟睡していても目だけはカッと大きく見開かれたままであったとの事だ。小さな蜘蛛が睫毛の間に巣をかけるにいたって修業は終了(アホだ)
次の教えは「視る」事。
紀昌は、虱を一匹捕まえて髪の毛で結わえると、それを窓に懸けて、一日中睨み暮らした。
そのうち虱は4ヵ月後には蚤くらいの大きさに見えてきた
また3年の月日が流れると、窓の虱は馬のような大きさに見える。
外をあるけば、人は高い塔のように、馬は山のように見える。
ここにいたって紀昌は師より射術の奥儀秘伝を授けられる。
1月の後には、100発の矢を射て、速射を試みたところ、100本の矢は、重なってまるで1本の矢のように連なった。
調子にのった紀昌は、師飛衛を排除しようとして失敗。
彼が師と扇ぐ邯鄲老子のところに行きなさいと言う。

この人はもっと凄い
みえない弓で見えない矢を射れば、鳥は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るのです。感服した紀昌はその師匠の元で、9年修業しました。
その結果:弓が何だかわからなくなっていた」

滑稽話なんだか教訓話なんだかちっともわからなかったが、
当時の僕は面白く読みました。
今でも面白いです。

それにしても、弓矢を窮めた結果、弓を忘れてしまったとは、
だから、道を極める事は意味がないと思うか、名人って所詮そんなものと笑うか?何かの黒い寓意を感じるか?努力の空しさを感じるか

それはアナタ次第、結局物語なんてそんなものです。


posted by とたけけ at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家な〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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