2008年08月25日

ソルジェニーツィンの評価




この8月3日、アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなった。
静かな死だったと言わなければいけないですかな?
この人は、スターリン体制下で、反革命分子とされた人々に対する抑圧を告発した反体制作家としてノーベル文学賞を受けましたが、
国家反逆罪で国外追放になりました。
ゴルバチョフ時代になって市民権を回復し、ロシア連邦に帰国してからの文学的活動はほとんど分かりません。
なかったのかも知れません。

「収容所列島」に代表される、卓越したドキュメンタリー作家としての評価は高かったソルジェニーツィン。
彼は、信仰心篤いキリスト教信者と、愛国者としての姿の二つを持っているとされています。
キリスト教徒の視点から社会主義を批判する立場の小説を書いた。
従って、彼の文学者としての活動の全盛期も、ソビエト国内で体制批判をしていた頃だったとされる。
もちろん、彼自身の人間としての軸がぶれているわけではないでしょう。
ただ、社会主義のイデオロギーからは自由だった彼も、キリスト教の宗教的な観念からは自由ではなかったようです。

帰国後はロシアの精神的支柱となったと伝えられますが、
彼の市民権を回復してくれたゴルバチョフも、ロシア連邦最初の大統領のエリツィンにもソルジェニーツィンは容赦なく批判を行っています。
彼の理想的な「ロシア」を実現してくれる指導者ではなかったんでしょうね。
ただ、晩年の彼は意外なことに、プーチン体制を支持しました。

そう言えば
ソビエト崩壊直後の混乱したロシアについて、
何かのインタビューで、正確ではないだろうが、
「自由と平和が保障されるなら、専制国家でも構わない」と発言していたのを、印象的に覚えている。

それなら社会主義国のソビエトは専制主義国家ではなかったのか?と当時悩んだ記憶があったから。
亡命時代には、社会主義体制のソビエトに対する批判者であり、反体制の闘士として西側が賞賛したソルジェニーツィンも、ナショナル・アイデンティティを再生させる権威主義的なプーチンを支持したのも、その辺が根底にあるのかな?と思ったもんです。
もちろん、ソルジェニーツィンの文学がそれによって評価を下げるわけでもないのですが、西側にとって利用価値がなくなったのは間違いないですね。

僕が読んだのは「イワン・デニーソヴィチの一日」で、最初から最後まで、作品の中に地吹雪が吹き荒れているような作品でした。

彼の作品と名声が、ロシアという少々危険な国のナショナリズムの行き過ぎた高揚に利用されない事を願ってます。
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2008年08月19日

源氏物語E(若紫)

さて、17歳の光源氏と20歳の夕顔の君(実は頭の中将の愛人)とのひと夏の恋は、死別という思いもかけない形で終焉を迎えました。
それも、生霊にとり殺されるという?
ロマンポルノの濡れ場に稲川淳二の「怖い話」を挟んだような物凄い急な展開です。

この愛の傷は深い。

源氏のお相手である夕顔の君はとり殺されたうえ、その死を秘密のもとに葬られる。
寂しいですよね。
殺されたヤクザが、その死を隠蔽するため、コンクリ詰めにされて、東京湾に沈められる図を想像します。
例えが下世話で、源氏ファンには文字通り殺されかねない表現ですが、似たようなものです。
この時代、華やかなようで、生と死は本当に近いところにある。
だからこそ、生霊やら祟りやら祈祷やら呪いなどが流行っていたんだろうし。

さて、またまた脱線したところで
久し振りの「源氏ネタ」
本題に移ります。

源氏十八歳のころのこと、春ごろ、熱病を患って、北山に霊験あらたかな加持の僧がいると聞き、出かけてゆくところから始まります。

この若紫、書き出しはこうです。
「瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。」

「おこり」とか瘧病(わらわやみ)とか言う、熱病(マラリヤと思われる)をわずらって寝込んだ光源氏。
いろいろと呪術や加持などしてもらうんだけど、効果がない。
何度も発作がお起こってしまう状況。これは重病と周囲も心配しているところ、誰かが、「北山の某寺に霊験あらたかな行者さんががいて、去年の夏にも病が世間に流行して、他の人々がまじないあぐねたのを、何人もたちどころに治したそうですよ。こじらせると厄介だから試してみてはいかがですか?」と言うので呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」というので、「しかたない。ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。


よほど、重症だったという事です。
もっとも、熱にうなされてたびたび発作が起きる状況では、
そうは簡単に外に出ようなどという気持ちはおきないだろうしね。
まあ、とにかく、北山のとある寺に光源氏一行は向かいました。
相当山深い場所にある岩屋にその聖(行者)はいらっしゃった。
身なりは相当粗末なものだったが、見るからに徳のある感じの人だった。彼は源氏のためにしかるべきクスリを作り加持祈祷を行った。
ここで、源氏は健康を取り戻す。
体力を回復したというべきか。

そんな日々の中、外に出て見渡すと高い山の上なので、誠に景色がいい、眼下につづら折りの道の下にこざっぱりとした住居が見える。
「誰が住んでいるのだろう?」
「あれは僧都が2年間も住んでいるとか聞いておりますが」
すると、その建物の中から美しそうな童女などが大勢出て来て、
水をお供えしたり、花を折ったりするのが見える。
「あそこに女がいるぞ」
さすが稀代のプレイボーイ、女性を見つけるのは早い。
何かと気にかけるのを、
「気を紛らわせた方がようございます」とは従者の弁。
そりゃそうだ。
病人なんだから。
山から京の町を見下ろせば景色にぼんやり霞がかかっている。
「絵にとてもよく似ているなあ」と言うと、
「いや、地方に行くともっと素晴らしい景色がございます。そこでなら絵も上達なさるでしょう。富士の山、何々の嶽」
その中で、近場なら播磨国の明石の浦が格別ですと勧める者がいた。

「あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。」先日立ち寄ったが、いい暮らしをしている模様だとも伝えている。
「ところで、その娘は?」と聞かれる源氏に
器量や、気立てなども結構な娘だとの事。ただし代々の国司などが結婚の申し込みをしても、この父親、全然承知しないのだとの事。
自分はこのように落ちぶれているけど、娘だけは特別だと言ってはばからないのだ。
「海龍王の后にする娘なんだろう」
「気位いの高いことも、困ったものだね」
と噂するのを源氏は興味深く聞いている。

まあ、後々光源氏が、政敵に当たる弘徽殿(こきでん)の女御ら右大臣系の人間に疎まれ、逃れた須磨で、件の明石入道に迎えられ、その娘である明石の上と契る(つまりデキてしまう)
彼女は娘を産み、源氏に引き取られ皇太子の后(明石中宮)になります。明石の上は中流の身分ゆえ、わが子を手許で育てることができませんでした。
ただ、最後に姫君が入内するときに、紫の上の計らいで、世話係として明石の上は選ばれるのです。

そして、その紫の上と源氏が出会うのがこの「若紫」なのですが、
すいません。
続きは次回に
posted by とたけけ at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

「怪談」の季節〜小泉八雲





夏と言えば海
夏と言えば山
夏と言えば…怪談

「呪怨」や「リング」を出すまでもなく、
今、ジャパニーズ・ホラーは世界を席巻しているが、
その原点「怪談」は日本人ではなく、
パトリック・ラフカディオ・ハーンという外国人によって、
編集された。

もちろん、元々今昔物語や雨月物語などにも
怪異譚は登場するが、
それを一番有名にしたのはギリシャ人のハーンだったのは
不思議ですな。
耳無し芳一とか、むじな、ろくろ首など…
どれも有名だけど、
怖いというより、懐かしい感じがするのは不思議です。
そう、ゲゲゲの鬼太郎を読んだ時みたいな。

さて、そのハーンさん、
1903年東京帝国大学を退職しましたが、
その後任が夏目漱石だったのは有名な話だそうです。
posted by とたけけ at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家か〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

金閣炎上(水上勉)





大学1年の頃、通学の電車の中で文庫本を読もうと決めた時、
僕は、各作家1冊ずつ本を読もうと決めた。
その時、水上勉さんの「霧と影」を選んだので、
この「金閣炎上」は読まなかった。
(その代わり三島由紀夫の「金閣寺」を読んだっけ)

その時、三島の「金閣寺」から受けていたこの事件に対するイメージが後になって水上勉の「金閣炎上」を読んだ時、大きく変わってしまった。
こちらは、まるで小説ではなく、ドキュメントなのか、丹念に犯人林養賢の犯行に至るまでの精神的な足取りを追いかけている。
三島の「金閣寺」が精神性に重きを置き、美と儚さに彩られた「美しい」作品であるのに、水上の「金閣炎上」には、病弱な父親と勝気な母親の間に生まれ、吃音に悩んだ青年僧が、終戦という時代の価値観が転換する時期に、自分の居場所を失い、周囲から隔絶して最後には象徴としての金閣を焼くという「大それた」行為にいたるまでを資料を集めて書き記している。
「殺仏殺祖」という臨済の言葉が終盤出てくるが、この言葉が林青年の放火と関係あるかは、著者もわからないとしている。

読んでみて、三島の「金閣寺」は文章が飾りすぎていて読みにくく、彼の真意が掴みきれなかったのに引き換え、水上の方は、真実に近付こうとするあまり、中身が詳細において細か過ぎ、全体の意図が掴みきれなかった。

結局わからんかったんかい?と言われそうですが、
人間の行動って不条理なものではないだろうか?というのが自分の考えなので、それはそれで仕方ないかなと思っています。

両方とも読後感に空しさが残りましたがね。
posted by とたけけ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家ま〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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