2008年03月30日

寺山修司の競馬文学




競馬の文学と言えば、何を思い出しますか?
一時期は宮本輝の「優駿」が映画にもなって話題になりましたね。
実在の馬、メリーナイスがモデルになった話で、競馬に携わるいろんな立場の人たち〜馬主・牧場主・調教師・騎手などの思いがよく描写されていました。

しかし、競馬には、馬という美しい生き物を仲介にしたピュアな世界であると同時に、ギャンブルというもうひとつの側面があります。

寺山修司の競馬文学には、緑の牧場も、藁の匂いのする厩舎も出てきません。
彼の文章には、歌舞伎町のトルコ風呂(今はソープランドと呼ばれてますが)や深夜映画館や、新宿の飲み屋がでて来ます。
登場人物も、トルコ風呂で仕事中に死んでしまった唖者の女を忍んで「声の出ない馬」に賭け続けるバーテンの鉄、
元相撲取りで、大きな馬の馬券を買うノミ屋の集金係大ちゃん、
2着の馬を当てる名人だったヒモ流しの長さん、
金曜の夜になると、どこからともなく集まって隻眼の馬を探してその馬券を買うという「片目のジャックの会」、
東大に8回落ちてミストルコ(ソープ嬢)になった今も女の時代を信じて牝馬しか買わない蜜枝…。
人生、少し横にはみ出した人たちが出てきます。
夜、タバコの煙、安酒の入ったコップ、そして背中を丸めた男達。
彼の本に出る競馬は、近頃JRAが宣伝するようなスノッブなものではありません。
それは男達の苦しい人生や儚い夢を投影したスクリーンなのです。

「競馬への望郷」(寺山修司 作)

この本に納められた物語の中でも、特に好きなのは、新宿歌舞伎町裏通りにある酒場「ダメおやじ」に集まって、未勝利の馬を買い続ける男達の話です。
このダメおやじの会、大學を10回受けて10回落ちた男、49回失恋した男、女房に逃げられた男など要するに人生負け続けの男達の集まりです。
彼らが買うのは勝てない馬達〜未勝利馬です。
彼らは人生に勝てない自分を投影する未勝利の馬達を愛し、その馬券を買い応援する一方で、その馬が勝たない事を心の奥底では願っているという、複雑な心情で競馬に参加するのです。

妻に逃げられ、失業し、何もかも失ったダメおやじのどんガメ。
彼はどん底の自分の秘かな自負と小さな夢をサクラコという未勝利場に賭け、その馬券を買い続けます。

ほれ込んで馬券を買い続けて10戦目、ついにサクラコはレースに勝ちました。

「サクラコ万歳!」

どんガメは取った馬券で朝まで飲みました。しかし、飲んでるうちにわびしくなります。サクラコも勝って自分の前から居なくなってしまう。自分はいつまでも未勝利のままだ。どう生きればいいのだろう?
翌朝一番、どんガメは都電に飛び込んで、死んでしまうのです。
若い頃、この話を読んで、不覚にも泣いてしまいました。
僕も若いくせに早くも人生に絶望し、未勝利の自分に絶望していたからです。
しかし、どんガメが死に、その後寺山修司自身も死んでも
僕は死にませんでした。
G1クラシックは取れませんでしたが、僕の人生という競馬にはまだ終わりはありません。

この本の冒頭の詩「さらば ハイセイコー」は、当時繰り返し読んだものです。

「ふりむくと 一人の少年工が立っている 彼はハイセイコーが勝つたび うれしくて カレーライスを三杯も食べた…」と始まるこの長い詩の終盤にはこう書かれています。

「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースが終わるわけじゃない 人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の名も無いハイセイコーの群れが 朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる」

百万頭のハイセイコーの群れとは、人生を生きる我々自身だったんだね。
寺山修司の「言葉」はあれから30年以上過ぎても僕の心を揺振り続けます。
posted by とたけけ at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家た〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月29日

大佛次郎


大佛次郎という作家を考えると、
現代国語の授業なんかで浮かんでくるのは「天皇の世紀」なんでしょうけどね。
一番有名なのは、アフェリエイトに載せた「鞍馬天狗」かも知れません。
これが大佛さんの作品とわかっていればだけど。
腰を据えて作品を読もうとすると、全集を図書館で借りないといけない。
重くて通勤に持ち運べないし、大体迷惑だ。
それで、文庫本を探していたが、講談社の「大衆文学館」というシリーズで「冬の紳士」という小説である。
終戦当時の風俗を描いた物語だが、そのテーマは階級からの離脱。
もっとも、大衆小説だから、筋の運びや描写は平易である。
同じ時期に書かれた坂口安吾あたりと比べると読みやすいのが嬉しい。実業家という戦後の上流階級である主人公が、自由を求めて逃げ出すというもの。「逃げ出す」と言ってはいけないか、解説によると階級からの自由とかいうのだろうが、まあ、ある日突然全てがいやになって逃げ出してしまうというのはよくある話でもある。
クライマックスは主人公が自分の葬式を開催し、そこに捨てられた?妻が参列するという場面ですかね。
主人公が強烈で、他の登場人物の印象が希薄なのが残念だけど、
その分読みやすい小説でした。
ちなみにお兄さんの野尻抱影さんは星座の話で有名な作家。
posted by とたけけ at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 作家あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。