2007年08月26日

開高健「パニック・裸の王様」




実は、僕が最初に読んだ開高の作品は「ロビンソンの末裔」だった。
北海道の厳しい自然と戦う開拓民の事を書いた小説で、学生の頃読んだが、それでマンゾクしてしまい、「裸の王様」は読まなかった。もし、アノ頃「パニック」や「裸の王様」を読んでいたら、「夏の闇」とか「玉、砕ける」などもっと深く読みすすめたのかも知れないけどね。

この芥川賞受賞作を読んだのは、結婚した後、初めて開高を読んでから10年以上過ぎた後である。

これは文学に限ったことじゃないが、予定調和というのはそうそうあるものじゃない。(マンガにはあるけどね)
「ロビンソンの末裔」もどちらかと言えば人間が自然に勝てないという小説だったと記憶している。
「パニック」は笹の実が実るとともに増えたネズミのエネルギーとそれに振り回される人間達を、「裸の王様」は子どもの絵を通じて大人という「裸の王様」の欺瞞を暴く作品。いずれもはっきりとした勝者も敗者もなく、読後感は爽やかじゃない(苦笑)。

開高さんの文体は独特の粘り強さを持ったもので、当時はそれがあまり隙じゃなかった。

今回、久し振りに読み直した。
今なら読めると実感した。先日の小林多喜二と同じでね。
たぶん、社会的にはひねてしまったが、文学的には素直になってきたのかも?

近々、立ち読みで挫折した「夏の闇」に再トライしようかなと思います。

開高健記念会のサイトはこちら
http://kaiko.jp/
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2007年08月21日

小林多喜二「蟹工船」




実は、僕は小林多喜二の後輩になります。
多喜二は、秋田県貧農の家に生まれ、4歳のときに家族で小樽に移住、
小樽商業学校から大正10年(1921年)に当時小樽高等商業学校と言った今の小樽商大に入学。同校校友会誌の編集委員となり詩や短編を発表する一方、中央雑誌にも投稿。高商を卒業後、北海道拓殖銀行に就職しました。その後、『1928年3月15日』『蟹工船』『不在地主』を書き、プロレタリア文学の代表となった。
拓銀を解雇された後、上京し、日本プロレタリア作家同盟書記長となるなど活躍、日本共産党に入党、地下活動に入る。
その後、昭和8年2月20日、治安維持法違反容疑で逮捕され、その日のうちに特高により拷問により虐殺。享年29歳だった。

以上が簡単な経歴紹介ですが、文学のジャンルが特殊であるだけに、読まれ方が難しい作家です。「蟹工船」の名前は知ってても、読んだ人は意外と少ないんじゃないかな?また、一方で左翼文学が好きな人はプロレタリア文学の代表作として賞賛するわけね。この評価のギャップゆえに小林多喜二を本当に評価するのは難しい。
この「蟹工船」はっきり言って読みにくい作品です。方言や今は使わない差別語も多く、扱うテーマも労働争議という重いものだから、今みたいにケータイ小説を読むタイプの人には難しいですね。

『「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱(かか)え込んでいる函館(はこだて)の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。彼は身体(からだ)一杯酒臭かった。』

…すいません、青空文庫から使わせてもらいました。
この最初の文章に抵抗を覚えたらたぶん読めないでしょう。
簡単に言えば、資本主義の酷使に耐えきれなくなった漁夫たちがロシア人から労働運動の重要性を教えられ、団結して立ち上がるといった内容です(本当にはしょった説明ですいません。)
でもプロレタリア文学だからと言って、多喜二の小説の文学表現はいいと思います。
第2章冒頭の海の様子を書いた文章は、重いけれど、小樽で青春を過ごした僕にとっても素晴らしいものです。

『祝津(しゅくつ)の燈台が、廻転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のような海霧(ガス)の中から見えた。それが他方へ廻転してゆくとき、何か神秘的に、長く、遠く白銀色の光茫(こうぼう)を何海浬(かいり)もサッと引いた。
 留萌(るもい)の沖あたりから、細い、ジュクジュクした雨が降り出してきた。漁夫や雑夫は蟹の鋏(はさみ)のようにかじかんだ手を時々はすがいに懐(ふところ)の中につッこんだり、口のあたりを両手で円(ま)るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなかった。――納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。』


少し長く引用しましたが、この表現で、重苦しい日本海とその上に浮かんだ船で過酷な仕事をしている漁夫の心情まで表れている。

ただね、左翼系のサイトで書かれているような
『多喜二が描いた人間愛を貫いた抵抗の精神は、明快な文体や構想力とあいまっていまだに新鮮さ保持しており、多くの大衆に感動を持って読まれている。』というシンパの方の考えは申し訳ないが買いかぶりすぎだろう。人間愛と抵抗精神は確かに感動的だが、多くの大衆に感動を持って読まれているのは言いすぎだ。昭和50年代当時の左翼学生達の間でも「多喜二」を読んでいる人は少なかった。

多喜二の作品は今でも再評価に値すると思う。誰かに今、多喜二を紹介してもらいたい。
ただしあくまで文学的に、である。
なぜなら、思想は時に目を曇らせるから。
三島の小説がその壮絶なナショナリスティックな最後ゆえに、かえって文学的に語られにくいのと同じくらい左翼系作家の評価は難しい。

いろいろ余計な事を言ったが、僕は多喜二の後輩になります。
読みにくかった当時の岩波文庫の蟹工船も久し振りに我慢して読みました(苦笑)
最後まで読めれば、きっと懐かしい感動を得る事ができるでしょう。

まとまらなくてすいません。





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2007年08月08日

ちょうどパイプ3服分の問題だ〜名探偵ホームズB「赤毛連盟」




コナン・ドイルの手による…もしくはJ・ワトソンの筆によるシャーロック・ホームズの事件簿は「冒険」「思い出」「帰還」「最後の挨拶」「事件簿」の5冊。長編は別として、やはり「ボヘミアの醜聞」「赤毛連盟」「まだらの紐」「青いガーネット」が入った「冒険」シリーズが著者も力が入っていていいようです。
前回、「ボヘミアの醜聞(The Scandal in Bohemia)」を掲載したので、次は年代記的にはホームズが手がけた一番古い事件である「グロリア・スコット号事件」か「冒険」シリーズで「ボヘミア…」の次に書かれた「赤毛連盟(Red-Headed League )」のどちらを載せるか考えましたが、やはりホームズものを卒業した方々もご存知の「赤毛連盟」について書いてみたいと思います。

この物語も僕は小学校の頃「山中本」で読んだのが最初でした。

1890年のある日、ホームズの住むベイカー街221Bにジェイベズ・ウィルソンというユダヤ人の質屋がやってくる。彼は燃えるような赤い髪の毛をしているのが印象的だが、この赤毛が事件の鍵となるのである…。

ある日、ウイルソンの経営する質屋に、新入りのバイト員としてヴィンセント・スポールディングが応募してくる。彼は見習い中とて給料は半分でいいという珍しい若者だ。
そのスポールディングからある日、ウイルソンは簡単な作業で高額な収入を得ることができるというひどくうまい儲け話を聞かされる。
これは立派な赤毛の人間のみで構成された「赤毛連盟」という組織によるものらしく、今回、その赤毛連盟に欠員が出たのだと言う。
スポールディングに連れられて面接会場に着くと、そこはありとあらゆる赤毛の人間の集まりとなっていた。しかし、スポールディングのおかげで他の応募者を出し抜いて面接にこぎつけたウイルソンは、面接官のダンカン・ロスというやはり赤毛の男に認められ、首尾よく赤毛連盟の会員になった。仕事の内容というのは指定されたオフィスで百科事典を10時から2時の4時間書き写すだけというもの。ウイルソンは喜んでこの週4ポンドの「仕事」を引き受ける。しかし、8週間後その赤毛連盟は数週間後に突如「解散」してしまう。ウィルソンはそれを不審に思い、また折角つかんだ割りのいい稼ぎをフイにする事ができなかったので、この謎の仕事と赤毛連盟の真相についてホームズに調査を依頼したいと尋ねて来たのだ。ホームズはそれを面白く思い喜んで仕事を引き受けた。しかし、その影には大きな犯罪計画が隠されていた…。

知ってる人も多いでしょうから、先に進めるが、要するに、質屋の裏側にはロンドンでも指折りの金融機関「シティ・アンド・サバーブ銀行」があったのだ。ホームズは実際にウイルソンの留守中、質屋を訪ねてスポールディングに会い彼のズボンの膝を観察、さらに店の前の地面をステッキで叩くことで、質屋から銀行まで地下トンネルを掘って進入し強盗を働くという恐るべき計画を察知したのだ。赤毛連盟の解散は犯罪の準備ができたことに他ならない。スポールディングの本名はジョン・クレー、貴族の血を引く犯罪者だ。

ホームズとワトソン、ジョーンズ警部に銀行頭取のメリウェザー氏。ランタンの明かりを消した真の闇の中、彼らが待ち伏せていると、銀行の大金庫の床下の敷石を外して犯人が現われた…。

そういうわけで、ホームズはワトソンとジョーンズ警部の強力を得て、知能犯「ジョン・クレー」を逮捕することができた。
推理においても、活劇としてみても面白い作品だ。




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2007年08月03日

源氏物語A(帚木)


さて、時の帝の子どもでありながら臣下として源氏の姓を賜った光源氏。この話の頃は17歳、
帚木とはほうき草の事だそうです。
この巻で詠み交わされる源氏と空蝉の和歌に織り込まれた言葉からこの巻の題名が付けられています。

さて、5月の長雨が続く頃、宮中で物忌みがあり、宿直所に籠もっている源氏のところに、彼の妻である葵の上の兄にあたる頭中将がやってきて、いろいろと話をしているうちに、どういう女性がいいか、という話になり、そこに左馬の頭や藤式部丞という好色者(当時、好色は悪い事ではなかったらしい)が現われ、いつのまにか、あれこれ女性の品評会といった様相を呈してくる。
いわゆる「雨夜の品定め」というやつで、後世、民主主義の世の中に育つ我々にはどうなの?と理解するのが難しい、少し傲慢なほどの場面なのだが、まあ、女性を上・中・下と分けて妻とすべき女性の資格を論じあうのだ。曰く、中の品の中にも個性的で魅力的な女性がいると聞き、興味深々の源氏だが、彼の心の中には死んだ母親によく似ているという帝の新しい女御、源氏の義母にあたる藤壺の女御が占めていて、とうてい忘れられない。
それどころか、彼は義理の母親にあたる藤壺と契ったらしい。それはやがて、藤壺の妊娠、不義の子どもの出産(後の冷泉帝)と続くのだが、その頃の男性は通い婚で妻の家に毎夜通うわけなんです。

さて、「中の品」の事が頭にあったのか、方違えのために訪れた紀伊守の屋敷で、そこに紀伊守の父親である伊予介の若い後妻が居るのを知った源氏は、寝所に忍び込み、人妻である彼女と契ってしまう。
なんて男だろう。
当時は、どうやら、女性は相当慎み深かったらしく、寝所に入られてしまったら、もう相手を拒むことができないらしい。
彼女が空蝉である。

源氏は彼女の弟である小君を可愛がり、
彼を使って空蝉に恋文を送るが、
彼女は返事を出さない。ガードが固い。
当たり前だよね。人妻なんだから。
彼女にも彼女なりの思いがある。

まだ娘の頃だったら、光源氏のような若者に通われるのも嬉しかっただろうが、今は受領の妻の身であるから、心苦しいが、わざと冷たい態度で振舞う。結局返事をもらえず、小君は源氏のもとに戻る。

落胆した源氏が彼女に歌を贈る。
「帚木の 心を知らで園原の 道にあやなく惑ひぬるかな」
(そこにあるかと近づくと見えなくなる帚木(ほうきぐさ)のように、つかむことのできないあなたの心を追って私は空しく送っている)
それに対して女(空蝉)は
「数ならぬ 伏屋に生ふる名のうさに あるにもあらず消ゆる帚木」
(賎しい小屋に生えている見苦しさに、いたたまれず消えてうせる帚木のような私です)
こう返してくる。
「勿体のうございます」ってんで、拒絶ですね。

あきらめきれない源氏は小君に姉の隠れているところに案内して欲しいと頼むが、厳重な戸締りをしているので、無理だという。
間に入っている弟の小君は源氏が気の毒でならない。
そんな彼の気持ちもわかるので、
「よし、ではせめてお前だけでも捨てないでおくれ」と側に寝かせたという。

しかし、この子も、源氏に手なずけられて姉の不倫の片棒を担ぐわけだから、この心情はよくわからないね。
一説には、彼は源氏の男色の相手になったと考えられる。
この時代には、すでに男色は流行っていたらしい。

昔はこの辺りは読み飛ばしたなあ…。
posted by とたけけ at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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